ビフォーアフターストーリー〜いっそ消えてなくなりたい
私は変な子どもでした。
保育園の頃から、
気がつくと周りと違う
ということが多かったのですが
はっきりとそれを自覚し始めたのは、
小学生の頃だったような気がします。
例えば、
ウサギ小屋でほぼ1日過ごしたり
休み時間に本を読み始めて
気が付いたら放課後だったり
登校途中に学校に行くことを
忘れてしまったり・・・
世間一般で言うところの
「普通の子」の枠に
全く当てはまらない子どもだったので
小学3年生の担任に
「この子は障害児学級に入れた方が良い」
とも言われたそうです。
当然のように
小学校からいじめの対象として
孤立していた私は
そのまま中学校にあがり、
さらに高校へと進んでも
「疎外されている変な子ども」のまま、
私の何が悪いんだろう?と
悩み続けていました。
当時、校内暴力や
荒れる学校ということが
社会問題になっていく中で
病弱で不登校という鎧で
自分を守っていたんだと思います。
大人になり、
幼稚園教諭として勤め始めても、
私はまだ変な人のままでした。
ご存じない方も多いと思いますが、
幼稚園というのは縦社会です。
特に私の勤めた幼稚園は、
上の先生が言うことには
絶対に服従することが求められ、
さらに女と女の闘いが
日常茶飯事の、
大奥のようなところでした。
普通の人間としても
やっていけなかった私が、
そんな大奥のような
女の職場でやっていけるはずもなく・・・
精神と神経の病気で
立つこともできなくなりました。
ほぼ廃人のような状態で仕事を辞め、
2年間は死んだほうが良かったと
思う状態で過ごしました。
社会復帰した後、
資格を持っているので
様々な保育関係の仕事もしましたが、
また倒れるのではないか?
年度の途中で仕事を離れ
子ども達に不安を与えるのでは?
という心配から、
幼稚園に戻ることはできませんでした。
そして、この頃から
「子どもができない」という
悩みも加わります。
私自身が4人姉妹だったので、
「子どもはあたりまえにできるもの」
と思っていました。
子どもができない・・・
自分がお母さんになれない
子どもがいない人生は、
想像もしていませんでした。
子どもが好きで
保育の仕事についたくらいです。
保育の仕事をしていると、
周りは全員子どもを生んでいるママです。
不妊という言葉は知っていても、
私がそうだということを
認めることはとてもつらいことでした。
子どものできない私は
役立たずでいらない存在だと思いこみ、
周りの「普通に子どもを産んでいる」
ママ達が羨ましい、妬ましい、
憎くてたまらず
保育士としては
ママに寄り添う気持ちが
必要だと思いながらも
女として産めない存在という
劣等感や敗北感を持て余し・・・
私なんかいらない人間なのに
なぜ死ねないんだろう?と
毎日思っていました。
だんだんと
保育士として仕事をすることもつらくなり
かといって仕事をしなければ、
収入がない・・・
身体の不調もどんどん酷くなり、
月の半分は起き上がることの
できない生活をしてながら、
死ぬことばかり考えていました。
このまま生きていても、
この先何もない
仕事を休んだり寝込んだり
人に迷惑をかけているのだから
それならいっそ、もう死にたい
身体のつらさをどうにかしたいと、
様々な病院にも行きました。
毎月、検査で血を取り、
管を入れ、薬を大量に服用し
それでも痛い・痒い・苦しい
といった症状は治まらず、
食べることができないので
点滴をし、
身体の痛みはあたりまえ
いきなり意識を失って
倒れるような毎日を過ごしていました。
いっそ癌なら死ねるのに・・・
癌で闘病している方に
失礼だとは思いますが、
当時の私は本気で
癌のほうがマシと思っていました。
…次に続きます
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